2月26日で4歳になった大士。毎年この日がくる度に、大士が産まれた時のことを主人と振り返ります。ダウン症である告知を受けた日の帰り、私たちは息子の将来のことについて話しをしました。大士には、学校で友達を作り、たわいもないことで笑ったり、就職して仕事して、同僚と飲みに行ったり愚痴を言い合ったり…と、私たちが今まで何気なくしてきたことが出来ないんだろう。障がいがあると何も出来ないんだろうと、偏見を持っていました。

 実際に子育てが始まってからも、同年代の子とのちがいを気にしたり、まわりにどう見られているかを気にしたり、とっても弱虫だった私。でも私が何を思っていても、いつも大士は笑っていました。その笑顔は、人とちがってもいい、どう思われてもいい、毎日笑顔でいられたらそれだけで幸せだよ。私にそう語りかけているようでした。

 先月号で私は、障がい児と健常児のきょうだい関係のことを書きました。今は大士と仲良くしている娘が、いつか大士が人とちがうことに気づき、悩み苦しむ日がくるのではないかと。この人とのちがい、健常児と障がい児のちがいを、皆さんは子どもにどう伝えますか?

 『私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面を速くは走れない。私がからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、あの鳴る鈴は私のようにたくさんの歌は知らないよ。鈴と、小島と、それから私、みんなちがって、みんないい。』これは詩人である金子みすずさんのものです。

 どんな子にもその子にしかない個性があります。顔もちがえば性格もちがう。得意なことも苦手なこともちがう。お互いに短所はあっても、それぞれ真似できない長所がある。障がいがある・ないに関わらず、こんな風にちがう相手のことを受け入れ、お互いが大切な存在であること、みんなちがってみんないいということを、子ども達には知ってほしいと思います。