『1000分の1の個性』ちゃりんこリエの育児大奮闘記
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第47章 一生の宝物
涙、涙のバイバイ
大士が5才の誕生日を迎えた2月末、我が家にとって大きな出来事がありました。
それは今まで通っていた保育園からの退園。
この春引っ越しをする私たちは新しい環境で生活をスタートするため、そしてその環境に少しでも早く子ども達を慣れさせるため、2月いっぱいで約2年間通っていた保育園を離れ、3月から新しい幼稚園に入園しました。
保育園探しをはじめた2年前の冬。行政に相談に行っても協力は得られず、自ら何件かの保育園を見学していくと、ダウン症と言っただけで対応が変わったり、嫌な顔をされたりと、障がいへの偏見を痛感した私は心が折れそうになっていました。
そんな時に手をさしのべてくれたのがこの保育園。もともと障がい児の受け入れはしていませんでしたが、温かく受け入れて下さいました。
同級生よりもカラダが小さく、色々なことが出来るようになるまでには人一倍時間がかかる大士。でも、集団生活に入りみんなと一緒に活動していくと、沢山の刺激を受けてどんどん成長していきました。
運動会ではひとりで走り切って、ゴールテープを切る事が出来たし、リレーのバトンをつなぐことも出来ました。発表会では役を演じきったし、みんなと一緒に歌も上手に歌えました。トイレでおしっこができるようになったし、先生の名前も言えるようになりました。
出来るようになったことを挙げればきりがありませんが、『みんなと同じことをするためにはどうしたらいいか』ではなく『大土のためにはどうしたらいいか』を一番に考え、どんな些細な成長でも喜び、優しく見守ってくれた先生と、『大ちゃん、大ちゃん』と言って手をとってくれたお友達には感謝の気持ちでいっぱいです。
この保育園での思い出は私たち家族にとって一生の宝物。そして『大ちゃんと出会えてよかった』と言ってくれたこと、『大ちゃんを通してみんな成長できた』と言ってもらえたことは、私にとって何よりの励みです。
この場をおかりしてお礼を言わせて下さい。本当に本当にありがとうございました。
それは今まで通っていた保育園からの退園。
この春引っ越しをする私たちは新しい環境で生活をスタートするため、そしてその環境に少しでも早く子ども達を慣れさせるため、2月いっぱいで約2年間通っていた保育園を離れ、3月から新しい幼稚園に入園しました。
保育園探しをはじめた2年前の冬。行政に相談に行っても協力は得られず、自ら何件かの保育園を見学していくと、ダウン症と言っただけで対応が変わったり、嫌な顔をされたりと、障がいへの偏見を痛感した私は心が折れそうになっていました。
そんな時に手をさしのべてくれたのがこの保育園。もともと障がい児の受け入れはしていませんでしたが、温かく受け入れて下さいました。
同級生よりもカラダが小さく、色々なことが出来るようになるまでには人一倍時間がかかる大士。でも、集団生活に入りみんなと一緒に活動していくと、沢山の刺激を受けてどんどん成長していきました。
運動会ではひとりで走り切って、ゴールテープを切る事が出来たし、リレーのバトンをつなぐことも出来ました。発表会では役を演じきったし、みんなと一緒に歌も上手に歌えました。トイレでおしっこができるようになったし、先生の名前も言えるようになりました。
出来るようになったことを挙げればきりがありませんが、『みんなと同じことをするためにはどうしたらいいか』ではなく『大土のためにはどうしたらいいか』を一番に考え、どんな些細な成長でも喜び、優しく見守ってくれた先生と、『大ちゃん、大ちゃん』と言って手をとってくれたお友達には感謝の気持ちでいっぱいです。
この保育園での思い出は私たち家族にとって一生の宝物。そして『大ちゃんと出会えてよかった』と言ってくれたこと、『大ちゃんを通してみんな成長できた』と言ってもらえたことは、私にとって何よりの励みです。
この場をおかりしてお礼を言わせて下さい。本当に本当にありがとうございました。
ちゃりんこリエ
2005年~2007年までサクラサクライフに籍を置いていた敏腕編集部員。現在、夫と子供(2人)とともに、まったりとした生活を送っている。